幸不幸は平等不平等なりや?

世の中には様々なテーマであるが、
簡単なものは自分の中で既に結論が出てる事に気付かされる。
やはり話し合う相手がいるのが大きい。大学よ、有難う。


ということで、ネタが無い日は脳みその中身をぶちまけてお茶を濁そうか
今回のテーマは
幸不幸=平等不平等となりえるか


何を発端に考え始めたか、とか
いつ結論が出たのか、とかは忘却の彼方です。
その結論を思い出したのは先輩である華威氏との談話からでした。
華威氏自身はその先輩からのネタ振りだったらしいですが


まあともかく、こんな話を始めちゃったわけです。
私の答えは『人それぞれ』
答えになってねえだろ! とかの突っ込みは勘弁。
答えようはもうないと思います。


幸せは主に主観的なものです。
貧乏でも家族がいれば、という幸せもありますし、
金があっても信頼できる人間がいないという不幸せもあります
幸せなんぞ個人の尺度です。

そして、平等不平等。
これは人と人との間に起こる以上、客観的なものです。
比べればどこが不平等かすぐにわかります。
誤解する人がいて問題にはなってますが、社会を見渡す目さえあればわかります


客観的なものと主観的なものは別の次元で変化しているので
=の場合もあれば≠の場合もあるでしょう。


主観。怖い言葉ですよ。
今日本は一億総中流とか言われています。
自分は中流以上の家庭に住んでいると考えている人が多いって話でしたか
資産的に見れば、概ね皆幸せって事でOKなんでしょうか
でも実際にはどうなんでしょうね?
絶対的な資産評価を並べていけば、上がいて下がいて、
1位〜1億2千万いくらかの順位付けが有る以上、
中流は有り得ないと思います。
あんまりそんな総中流がどうとか考えてると、
自助努力できなくなるような気がしてなりませんがね


以上。論旨はなんだったのでしょう